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My Little Flyfishing Notebook
僕の小さなフライフィッシング・ノートブック   My Little Flyfishing Notebook
Foreword このノートブックについてOn this notebook
 
 
自分の趣味については控えめであるべきだ。どこでそれを語るにしても、語る喜びを大切な宝物のように扱い、いくら催促されても、全部をとことんまでさらけ出すべきではない。自分自身の鍵は使わない方がよい。自分の趣味にたいする本当の楽しみの精神の証しは、彼の大切な趣味の門口をあけるマスター・キイを持っているかどうかにあるのだ。ーーエドワード・グレイ「フライ・フィッシング」(西園寺公一訳)
 
 フライフィッシングの魅力の一つは、「自然の中で遊ぶ」ということにある。その爽快感は格別だ。

 初夏、五月のはじめあたり、東北や信州の渓流に立つ自分を思い浮かべて欲しい。山から新鮮な酸素をもらって流れる透き通った水、その遠く上を舞う鳥たちの鳴く声、さらにその遙か向こうに広がる青い空と吹き抜ける風に揺れる木々のざわめき。

 日光湯川2004年7月 
 そして、その真ん中に立つ自分。僕は、自分で巻いた小さな毛針を、この上なく静かに、川面の白い泡の切れ目や渦のただ中に投げこむ。そして、やがて訪れる一瞬の静寂ののち、その小さな毛針に勢いよく飛び出してくる可憐なヤマメや獰猛なイワナたち・・・・・・ 

 フライフィッシングを誰にでも魅力的なものにしてくれるものが何なのか、すぐに合点が行くはずだ。
 
 
 しかし、フライフィッシングは、スポーツあるいはゲームとしての要素を他の方法による釣りよりも余計に含んでいる。そして、スポーツあるいはゲームとしてのずば抜けて高いその「創造性」と「戦略性」が、フライフィッシングの最大の魅力であると僕は思う。
 
宮城県白石川2004年8月
 僕は、この魅力の最大限の追求を、自分にとってのフライフィッシングの「ルール」としている。考えてみれば、僕たちは、生きるために真剣な魚を、小さな毛針ひとつでだましている。僕たちにとっては単なるゲームであっても、魚たちにとっては生きるか死ぬかの戦いである。そうした魚たちに、僕は満腔の敬意を表したい。だから、生死をかけて僕の毛針に飛びついてくる彼らに、僕は、僕の知力を尽くして挑むのだ。「釣れなくてもいい」なんて思わない。僕は僕なりに緻密な戦略を立案し、それを遅滞なく遂行し、現場の不透明さを打破して、あの美しくも野生味あふれる魚たちを釣り上げたい。釣れたではなく釣ったという確信を持って夕暮れの河辺を家路に向かうこと、つまり、「会心の一匹」を釣り上げることに常に真剣であることは、魚と自然への僕なりの敬意の表し方である。
 
 さて、そういった戦略の形成は、渓から遠く離れた机の上やベットの上で始まっている。僕は、実際に釣りに行くことを楽しむ以上に、文献を読みつつ自分の数少ない経験をてらしあわせて、僕の頭の中にあるささやかな創造性と戦略性が向かうべき方向を整理することに、無限の楽しさを覚えてきた。

 そのささやかな思考のあとを、自分なりにまとめておきたいと思ってこの文章を書き始めている。それをHPで公開するのは、誰かの参考にするためではない。むしろ、自分に書く目標を与えるためである。だから、僕が考えた理論や方法を実践して釣れてしまっても、そういう報告は必要ない。僕が書くとおりにすればきっと釣れるなんても思わないで欲しい。僕の理論に汎用性があるかどうかなんてわからないし、エキスパートに役立つ高度な理論なんて「週末アングラー」の僕に求めてはいけない。
 
 今まで、僕は、第一次大戦時のイギリスの外相・エドワード・グレイの名著「フライフィッシング」の、まさに名訳といってよい西園寺公一版を愛読してきた。その一節にこう書かれてある。

 したがって、(この本を書く)私の目的は釣りの技術を教えることではない。しかし、もし私に専門家になろうという野心があるとしたら、釣りの楽しみについての専門家になりたい。釣りの腕前ということなら誰に譲ってもよいが、釣人の名声が上手下手ではなく、釣りへの愛着、釣りの喜びによってはかられるとしたら、私は釣り人たちの間で高い地位を占めたいと思う(PP14-15)。

 このグレイという人は不思議な人だ。ウィンチェスターのパブリックスクール(日本でいう私立学校)に入学、勉学そっちのけで、イッチェン川の「オールド・バージュ」に釣りに行き、ジョージ・セルウィン・マリアットやフランシス・フランシスといった、まさにフライフィッシングの歴史を体現する釣り師の手ほどきを受けながらフライの道にのめり込んだ。オックスフォード大に進んでからも優秀とは言えない学生で、実際に大学を退校させられている。その後、彼はマンデル・クレイトンという偉大な宗教家に感化され、古きよき時代のイギリス貴族らしい「パブリックサービス」の精神をもって政治の道に入り、後に外務大臣として一一年もの長きにわたって政界で重きをなす。その間、日本との関わりも決して少なくない。
 
 だが、第一次大戦時には保守派からも進歩派からも批判を受け、晩年は母校オックスフォード大学の総長として、その一生を終えた。しかし、グレイのこの本を読んでいると、そもそも彼には政界において一流になるという野心などなかったように思える。政治家としても一流ではなかったかもしれないが、おそらくは、フライフィッシングの腕前に置いても、それほどでもなかったのではないか。 

 しかし、彼のこの言葉ほど、そして彼のこの本ほど、フライフィッシングへの愛情を語ってくれるものはない。彼は、きっと自由党の重鎮であり、元外相であるエドワード・グレイ卿としてではなく、一人のフライフィッシャーとして死んだのに違いない。
 
 
 日本の近現代史の研究者の僕は、この翻訳があの西園寺公一の最晩年のころの著作であることや編集者があの開高健であることにも、いろいろな意味で関心をかき立てられるのであるが、それはさておき、グレイのこの言葉こそ、この釣りを趣味とするものの精神を表すものはない、と大いに共感しながら、この文章を書き始めたいと思う。

2011年6月 武田知己 2012年11月改訂